2011年のスタートはこの方と。
東京の下町と人が呼ぶエリアの最南端、佃の半島の端っこにある公園にて、写真家の田中長徳さんと出会う。
田中さんはライカの名手として知られる写真家。ライカに関する著書も多く、僕の家の本題にも田中さんのライカ本はいくつもある。人はライカに迷うと、田中さんの本を手にし、そしてまた迷う、そういう御人だ。
今日、僕は地元浅草の喧噪を離れ、一人自転車で街に出た。行き先は、正月休みのこの時期静まり返る都市の中でも、きまってふらつきたくなるいつもの下町の南のほう。日本橋や人形町、そして佃島あたり。
そして行きついたのは佃島のなかでも隅のほう、相生橋のたもとにある小さなエリア。ここは僕にとっては子どものころから馴染みのある場所だ。
東京の中心を上から下に流れる川は、このあたりで淡水と海水が絶妙に混ざり合う。湾岸独特の土木の圧倒的な迫力をもつ構造物、鉄橋の下や高架橋の下は、かつてはハゼやボラ、うまくすればカレイやアイナメなどが釣れる良質な魚場であった。
いまでは周囲にはいくつもの高層マンションも建ち、街は都心の西のほうと同じように、どこまでも地続きにフラットにつながる。
僕がはじめてここに来たのは小学校低学年のころだろうか。大人の背丈よりも高く川にそってカミソリ堤防がそそり立つこの場所は、はるばる自転車で浅草から来た子どものころの僕にとって、世界の果てに近かい場所だった。
そして今日、田中さんが「マジックガーデン」と呼ぶこの場所で、佃島の近代史を、20年程前からこの町に暮らすようになった田中さんの記憶をたどりながら、新しく造成された公園の子供用の遊具のうえでお話させたいただいた。
冬の短い午後の陽射しは、一日をあっというまに日中から夕暮れ時にその姿をかえてしまう。カミソリ堤防のせいで日の光をうけて反射する川面を眺めることの出来ないこの場所では、日が落ちていくことはそこで経過する時間とイコールではない。
この場所を田中さんがなぜ「マジックガーデン」とそう呼ぶのか、その理由はまだ知らないけど、田中さんがウィーンから帰ったきたら、それを真っ先にきいてみたいと思う。